言の葉

   2


「ふいー、ついに二階に来たね〜」
「うんっ」
 二人がパートナーとなって、もう数ヶ月が経過していた。
 一番後発のエスタッテルブでさえもう三階より上へ進んでいる。
 彼女達が他と比べて遅いのは、通常の三人パーティーではなく二人きりで進んでいるからだ。
「魔獣なんて全然居なかったけど……」
 一階には魔獣は殆ど居なかった。
 数ヶ月の間探索して、片手で数える程しか遭遇していない。
「それでも大変だったよぉ」
「だねー」

 彼女達が三人でパーティーを組めないのには、単純な訳がある。
 一つは、凛が条件付けのパーティー募集を行っていた事。
 もう一つは、どう見てもハズレのパーティーメンバーが居た事。
 ハズレというのはアルセルブに所属していながら一階層までしか進んだ事が無いという羽乃芽の事だ。
 募集の際にはそういう情報も事細かに記載しなければならない為、よほどうっかりした者で無い限り、羽乃芽をパーティーに入れようとは思わない。
 胡散臭さを上昇させる事の一つとして、アルセルブだというのにコジュエルブ特有の魔法士の服を着ていたというのがある。
 掲示板のすぐそばでうだっている魔法士の服を着たアルセルブというのは、そこそこ話題になっており、一枚だけ残ったアルセルブの募集記事が誰のものかも一目瞭然。ともなれば誰もその紙を取ろうとはしなかった。
 つまり、良かれと思って行われたアルセルブの教官のした事が、完全に裏目に出てしまっていたのだ。
 だが、その紙を取った者が居た。凛である。
 しかし、凛がパーティーに加わった後もそれは変わらず、パーティーが三人になる事は無かった。
 それならば実績を先に作ってしまえと塔に挑戦したのは良いが、魔法も使えない、剣も使えない、そんな羽乃芽と二人での挑戦だ。実質凛一人で挑戦しているのと変わらず、二階まで来るのに時間がかかってしまった。

「良ーいこーと考えた〜」
 軽やかなリズムに乗せて凛が言った。
「羽乃っちは真貴様と同じ王国神官になりたくてアルセルブに入ったんだよね?」
「え? ううーん……どうかなぁ?」
「違うの?」
「よく分かんないよぉ。真貴様に憧れて入っただけで、進路なんて決めてなかったもん」
 凛の考えた『良い事』が、しょっぱなから音を立てながら崩れようとしている。
 凛はイメージの中で、全身を使って『良い事』が崩れないように支えた。
「で、でも、成績低いままじゃ、真貴様の後も追っ掛けられないし、下手すると退学だよ」
 その言葉を聞いて、うるっと瞳を潤ませる羽乃芽。
「そうならない為には、どうしたら良いと思う?」
「うぅ……魔法を使えるようになって、魔獣倒せるようになって、いっぱい歩いても平気になって、荷物もいっぱい持てるようになって……うぅー」
 羽乃芽の言葉一つ一つに、凛は大きく相槌を打った。
「そうだね。でも羽乃っちの場合は、先ずコレ」
 そう言って凛は地図を取り出した。
「地図が読めるようになる事と、マッピングが出来るようになる事だね。力持ちの男の人が居れば戦わなくても済むかも知れないけど、その人が冒険者じゃないなら誰かが地図を見てナビゲートしなきゃいけないよね。だから、冒険者は先ず、地図の見方を覚えるんだよ。って、これは授業でやってるから羽乃っちも知ってるよね」
 調子に乗って言い過ぎてしまったと苦笑いを浮かべる凛に対し、羽乃芽はただただ目を丸くさせていた。
「……もしかして、知らなかった?」
「……うん」



 アルセルブとはエリートの集まりだ。
 単純に、コジュエルブの上位がアルセルブであり、エスタッテルブの上位がフェルブなのである。
 そういったエリートの集まりに所属する者達は、戦闘能力だけではなく、生きる為の知恵にも貪欲である。
 多くは青嵐学院に入学する以前に独学か、あるいは冒険に関する学校に通う事によって力と知識を得ている。
 その為、ごく基本的な事に関する授業は触り程度しか行わない。
 羽乃芽が理解するよりも早く次から次へと新しい事を教えられるのだから、羽乃芽が知らなくても無理は無かった。

 凛はコンパスと地図と筆記用具を羽乃芽に握らせる。
「えっと、ここからは私が書くの?」
「ううん。もう遅いからね〜。今日は戻ろ」
 早歩きですたすたと階段を降りていく凛。
 それを急いで追いかける羽乃芽。
「それを見て一人で帰って来るんだよ〜」
 一段飛ばしで飛ぶように駆け下りていく凛。
 転びそうになりながら、一段ずつ降りる羽乃芽。
「ま、待ってよぉ。無理だよぉ」
 泣きそうな程にか細い声が、凛を呼び止める。
 が、次第に離れていく凛の姿は、無情にも深い闇の中へと消えてしまった。
「無理だよぉ……」
 その言葉もまた、闇に響いて消えた。

 暫く階段に座って泣いていた羽乃芽だったが、泣いていてもしょうがないとついに立ち上がった。
 数ヶ月の間、凛と一緒に散々歩いた一階。
 もう地図が無くとも歩いてしまえるほどだ。
 だが、凛のナビゲートに甘えていた羽乃芽は、凛ほどには道を把握してはいない。
「うぅ……」
 目に溜まった涙を拭い、地図を広げる。
 コンパスと合わせて方角を確認し、見る。
 目印となるかがりびが一つ、そこにある。
 地図はとても丁寧に書かれてあり、明かりや装飾など、特徴的な物があれば全て書き込まれていた。
 これならなんとかなると、立ち上がり、歩き出す羽乃芽。
 明かりの届かない暗闇からその様子を窺っていた凛は、ほくほくとしながらばれないようにそっとあとを付けた。

 実はこの時、二人は塔を探険する際のタブーを犯していた。
 初級者は決して一人で塔の中を歩き回ってはいけない、という学校の規則を破っていたのである。
 羽乃芽が塔への入場資格を得て一ヶ月以上塔の中に立ち入る事が無かったのも、ただ怖かったというだけではなく、そうした決まり事があって門番に通してもらえなかったからである。
 その決まり事は、幾つかの危険を回避する為にある。
 そのうち最も大きい危険が、塔の中で道に迷う事。
 明かりもあり、人の行き交いが多い一階と言えども、迷った事に錯乱して無駄に体力を消耗すれば死に至る事もある。
 一階ともなれば二階までの道のりもある程度把握されており、余計な寄り道をしないパーティーの方が多い。つまり、迷った時に見つけてもらえない可能性が高い。
 更に、この塔は時間とともに形が変わっていくので、下手なところで休憩していると壁の中に取り込まれる恐れもある。
 二人で交代しながらであれば、もし迷って疲れ果て、休憩していたとしてもそうした事故は起きない。
 故に、最低二人で無ければ、塔の入り口の通行は認められない。

 そしてもう一つ、忘れてはならない脅威がある。
 魔獣の存在である。



 突然の悲鳴に、羽乃芽は肩を揺らしながら小さく飛び上がった。
 声の主はすぐにわかった。
 その声が特徴的だとか、そういう類の判別ではない。
 近くで見守っていると、そう思っていたから、誰の声なのかを悩む必要が無かったのだ。
「凛ちゃん!」
 叫んで、駆け出す。
 暗闇は怖くない。
 大切な何かを奪われる事の方が怖い。
 羽乃芽は明るい燭台の下から駆け出し、真っ暗な闇の中へと飛び込んでいった。

「来ちゃダメ!」
 曲がり角に差し掛かった瞬間、声がした。
 間違いない。それは凛の声だった。
 飛び出して、瞬間、目に映った物がなんなのか、理解出来なかった。
 人の身の丈の数倍もあろうかという巨体。
 故郷に多く存在する慣れ親しんだ獣、ドアケラ鳥の成獣である事に気付いた瞬間、それが羽乃芽を見下ろした。
「逃げて!」
 逃げる羽乃芽。
 飛び掛る凛。
 例外を除いて通常は温厚なドアケラが、その巨大な足で凛の体ごと剣を跳ね飛ばした。
 それを見て羽乃芽は踵を返した。

 無我夢中なまま、魔獣と凛の間に入る羽乃芽。
「逃げて……!」
 苦しそうな声で凛が叫ぶ。
 恐らくは出せる精一杯の声。
 しかしそれはどこか力無い響きで、吹き飛ばされた際に体を強く打ちつけた事実を羽乃芽にほのめかす。
 逃げる訳にはいかない。 
 しかし成す術も無い。
 ただただ、両手を広げ、魔獣の前に立ちはだかった。
 それを見下ろしながら、魔獣がゆっくりと足を上げる。
 ドアを蹴り破る際の予備動作。
 今は羽乃芽を蹴り倒そうとしている。

 その時、遠い過去の記憶が羽乃芽の中に溢れ出した。
 ドアケラ鳥の記憶だった。
 畑を荒らす。
 壊れそうな扉ならドアだろうが鉄の門だろうが蹴り破ろうとする。
 幾度も、村人総出で狩りが行われた。
 死んでしまった親の前で、ただ鳴き続けるドアケラ鳥の子。
 その姿が、買い物や近所への用事に置いていかれてしまった時の自分の姿に酷く似ていて、幼心に強く、強く、想ったのだった。
 強く、強く、願ったのだった。

 仲良くなりたい、と。
 共に生きていきたい、と。



 刹那の回想は、太陽の光のような眩い光によって中断された。
 光は、羽乃芽の胸元にある、黒曜石のように真っ黒だったクオーツから発せられている。
 その光がそうさせているのか、クオーツはゆらゆらと宙を漂っていた。
「な、なに……?」
 目前の魔獣への恐怖も忘れて、羽乃芽は呟いた。
 魔獣もまた、光に驚いたのか足を下げて、佇んでいる。
 手をクオーツへと伸ばす。
 それに呼応するように光が弱くなり、鮮やかな黄色い光へと変わっていった。
「暖かい……」
 いつの間にか、羽乃芽は安堵していた。
 自分が襲われそうになっていた事を忘れた訳ではない。
 ただ、漠然と、もう大丈夫だと感じた。

 不安も恐怖も何もかもを拭い去って、光は深い幸福感を齎した。
 その幸福感は、愛だった。
 優しさだった。
 自信だった。
 強さだった。
 そして、その光をもっと近くで感じようと、ドアケラ鳥も顔を寄せた。
 微笑む羽乃芽。
 心なしか、ドアケラ鳥も微笑んでいるように、羽乃芽と凛は感じていた。 






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